グロテスクな世界に少しだけ存在する温かさ – 映画「恋人たち」感想

唐突に映画の感想です。映画好きなの?と問われれば普通ですとしか答えようがないぐらいの人間ですが、たまたまこのタイミングで珍しく映画館まで観に行ったので、感想を書きたいと思います。

観た映画は橋口亮輔監督作品「恋人たち」。映画館へ行ったのは恐らく3年ぶりくらい(最後が何だったのか覚えていない…)、地元に戻ってきてからは初だったのですが、そんな自分には珍しく絶対に劇場で観たいと思っていた作品です。

どんな映画かは、公式サイトから引用。

通り魔殺人事件によって妻を失い、橋梁点検の仕事をしながら裁判のため奔走する男、アツシ。そりが合わない姑、自分に関心をもたない夫との平凡な暮しに突如現れた男に心が揺れ動く主婦、瞳子。親友への想いを胸に秘める同性愛者で、完璧主義のエリート弁護士、四ノ宮。不器用だがひたむきに日々を生きる3人の“恋人たち”が、もがき苦しみながらも、人と人とのつながりをとおして、ありふれた日常のかけがえのなさに気づく姿を、『ぐるりのこと。』『ハッシュ!』で知られる稀代の才能・橋口亮輔は、時折笑いをまじえながら繊細に丁寧に描きだす。

橋口作品に共通する生々しさ

橋口監督の前の長編作品「ぐるりのこと」は自分が上京した年に公開されていて、自分は音楽を担当していたAkeboshiというアーティスト(今作「恋人たち」でも引き続き音楽を担当)のファンだったのと、その頃仲が良かった映画好きの友人が猛プッシュしていたのがきっかけで、金曜の夜の仕事帰りに今は無くなった横浜みなとみらいのTOHOに一人で観に行ったのをなぜか今でも覚えている。

「ぐるりのこと」は「温かい気持ちになれる、ほっこりする」などという前評判を信じ込んで観に行ったものの、妙に生々しくてちょっと目を背けたくなるような表現も多く、それ故に初めて観た時の感想は「ちょっと自分は苦手かも」ぐらいのものだった。でも数日経って主題歌だったAkeboshiの「Peruna」という曲を聴いている時なんかに、急に映画の中の印象的なシーンが蘇ってきたりして、時間が経ってからも心のどこかを掴まれているような妙な感触があった。それで、レンタルが始まってすぐにもう一度観てみたら、前回苦手に思えたシーンも今度はそこまで抵抗なく受け止めることができて、前の時よりも素直に温もりを感じることができたような気がした。

今作「恋人たち」も全体的には同じような印象を受けた。この監督の作品はどこか人を不快にさせる表現があると思う。今作もすでに映画賞を多く獲得していたりと評判がいいけど、その評判だけを聞いて軽い気持ちで観に行くと失敗する人もいるかもしれない(自分はさすがにもう慣れた)。

グロテスクで醜悪な現実の世の中

冒頭からあまり美しいとは言えないようなシーンばかりが映されていく。一人目の主人公のアツシは、もっさりして不機嫌そうな大柄の男。鍋の中で固まった数日前の(と思われる)カレーを温めもせずにそのまま食パンにこすりつけて、部屋の真ん中で立ったまま貪っている。二人目の主人公の瞳子は、生活感溢れる疲れた中年女。頭の薄い夫に求められ、夜中に寂れた商店の前にある自販機へコンドームを買いに行く。セックスの後、スカートを履いたまま風呂場で股を洗っていると姑が起きてきて鉢合わせしてしまう(ヘンリー塚本のAVか!)。三人目の主人公の四ノ宮はゲイの弁護士。若い彼氏がいて高級そうな家に住む高ステータスの人間に見えるが、ゲイバーで彼氏のプライベートを小馬鹿にしながら(しかも急にオネエ言葉で)暴露してキレられ、周りが嫌がっているのにも気づかない。できれば直視したくない、日常で遭遇したら確実に目を逸らしたくなるようなシーンの連続。

ムカつく登場人物も多い。四ノ宮に離婚相談に来た女子アナは、新婚旅行先で夫から部落出身だということを告白され、これは結婚詐欺だと喚き立てる。瞳子が働く弁当屋の奥さんは夫婦間のいざこざを思い切り職場に持ち込んで当たり散らし、間違った品を仕入れた肉屋に(向こうに非があるわけでもないのに)威丈高に振る舞う。四ノ宮の友人である聡の妻は、「いじめられたのか?」という息子への問いに「いじめなんてマスコミが作ってるものでしょ」と真顔で言い返す。どいつもこいつもまともに関わりたくない。

こんな情景を、この映画はわかった上で突きつけてきている。この世の中はこんなに醜悪でグロテスクなもので溢れかえっているとでも言いたげに。それはきっとその通りで、僕らが直視しないように、関わらないようにしたとしても、こういうシーンは確かに現実にある。不快で生々しいものだらけの世界。この映画はまずその前提から始まっている。

誰とも共有できない感情たち

もう一つの前提。それは、いくら周りに人がいっぱいいても結局人間は一人でしかないということ。主人公の三人は端から見ればそれほど孤独というわけでもない。それぞれちゃんと職場があって、毎日誰かと顔を合わせている。だけど誰も、彼らが抱えるやりきれなさは共有できない。気づいてすらいないのかもしれない。

印象的だったシーン。四ノ宮から裁判を起こすのを断られた後、どうにもできず仕事にも行かずにいるアツシが、寝転んで携帯の電話帳をスクロールしながら「昔友達だったこの人達は、今でも友達なんだろうか」とつぶやく。何人もの連絡先が登録されているのに、その中の誰にも頼ることができない。決して彼らの関係が希薄なわけではないだろう。連絡したらそれなりに力になってくれるかもしれない。けど、それでも何にもならないだろうということがわかってしまっている。

瞳子は仕事で顔を合わせた肉屋の藤田とたまたま道で再開し、逃げ出した鶏を捕まえようとしてじゃれ合う。捌かれた鶏肉を持ち帰った瞳子は、夕食の場で夫と姑にその日の出来事を興奮して話す。彼女にとっては日常から少しだけはみ出したような刺激を覚えた出来事だが、「鶏がシメられるところを初めて見た」というその言葉に夫も姑も顔をしかめ、夫は瞳子の頬を張って席を立ってしまう。ここにもまた、繋がらない思いがあると思う。

誰かと分かり合うことは難しい。というかそもそも不可能なのかもしれない。わかりきっていることをこの映画はとことん見せつけてくる。

だけど、ほんの僅かな救いも確かにある

しかしこの映画は方々で絶賛されていることからもわかる通り、ただ不快なだけの映画ではもちろんない。現実は冷酷でありながら、ほんの少しだけ温かい部分もある。この映画はそんな些細な情感もちゃんと描いている。仕事の休憩中(おそらく)に川を眺めているアツシに声をかけて飴玉を置いていく女子社員。コンドームが無いかもという瞳子に夫が言った「できてもいいよ、夫婦なんだから」というセリフ。割合的には決して多くはないけど、救いを感じさせるいくつかの印象的なシーン。

主人公たちはラストには少しだけ前向きになる。何の問題も解決せず、痛みも消えていないけど、本当に少しだけ気分が軽くなっている。そうなるのに、何かはっきりとしたきっかけが描かれるわけでもない。あるのは、日常の中の本当に小さな温もり。

痛みなんてどうせ誰もわかってくれないものかもしれない。結局人間は一人なのかもしれない。だけど、そんな中でもほんの僅かでも誰かと繋がれているような瞬間があって、その積み重ねだけで僕らはどうにかこうにか生きていけるのだろう。

劇場で買ったパンフレット(まだちゃんと読んでないけど、なかなかのボリュームでかなり読み応えありそう)やチラシに散りばめられた映画の場面写真を眺めてみると、鑑賞中は不快に思ったシーンでも、どこか愛おしさを覚えてしまうから不思議だ。

そしてiTunes Storeで配信されているAkeboshiによるサウンドトラックを運転中に聴いてみると、自分もあの映画の登場人物たちと同じ世界で生きているのだと改めて思う。クソみたいな世の中だけど、まぁなんとかやるしかないか。そんな気分になって、景色が少し違って見えてくる。

とてもおすすめの映画です。ロングラン上映中らしいので、機会がある方は是非。

あとがき

あー、なんかこの記事頑張りすぎた!! こんな長文書くつもりじゃなかったのに!

次からはもっとライトにちょろっと書く程度にします。

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